「いちばんすきな花」というドラマを3日かけて一気見した。
3日かかったことは一気見というのだろうか。
でもとにかく、1話から最終話までを毎週待ち望みながら見てたわけじゃないことは伝わるかな。
録画を溜めていたこともあるし、そんなに話題になってなかったこともあるだろうけど(silentやびばんみたいに余韻や考察が飛び交ってなかったから)、最近見るまで悩めるオトナ男女のシェアハウス的な話だと思ってた。
スタバとかシェアハウスって言うとき脳内でスタバ(笑)、シェアハウス(笑)ってなっちゃうくらいに拗らせてるんだよね、私。でもこういうやつほどテラハとかちゃんと欠かさず真面目に見てるから。あ、テラハ(笑)ね。
キラキラした青春を送りたかったっていう自分の密かな憧れと、できなかった劣等感を(笑)に変換してなんでもない顔して生きてるの、ほんとよくないと思うんだけど、まっすぐなまま生きれなかった結果、(笑)をつけちゃうし、募る思いをこんなふうに画面に吐き出すしかない人生なんだろうな。堂々巡り。
「いちばんすきな花」はそんな私の予想を裏切ってくれて、でも心に閉まってたトラウマを引きずりだしてくれるドラマだった。
出てる人たちは、(笑)で流してる私よりよっぽど良い人たちだったけど、思いは似てるんだと思う。
『会話がしたい』って思う。
脳内での思考は常に一方通行で、リアル社会ではいつも目の前の人優先になる。
言葉のキャッチボール自体はできるけどそのボールは相手のものだから、私はできる限り落とさないように傷つけないように汚さないように、とにかくボールを返すことに一生懸命で気がつけば「もう帰る時間だからばいばーい」って相手もボールもグローブもなくなってただ1人グランドに残された気分。
人と話したあとってそんな気分になる。
そんなとき「あぁ、私も遊びたかったな」って。もちろん楽しかったって思うんだけど、本当は私も新しいボール持ってたんだけどなって、カバンに入れてた新品のボール握りしめて。いつまでもピカピカで絶対になくならない。でも親が心配するから壁打ちしてちょっと汚してから帰ろうかな、みたいな。
人と話したあとって、なんとなくまっすぐ家に帰れなくて用もないのにコンビニ寄ったり本屋に寄ったりしちゃう。
でもね、相手のせいばかりでもないんだよ。わかってる。
私自身、「この人に話したってしょうがない」みたいなとこあるんだと思う。上辺だけの関係しか築けないのは、私自身の問題。
今目の前にいる人と、どこまで深い関係を築こうとしているのか推測って、いつもだいぶ手前で線引きしてるのは私。たまたま席が近かったから、移動教室のとき1人は嫌だから、たまたま同じクラスになったから、たまたま同じ職場だったから。
そうやって大人になったら、もう出会う人は仕事関係の人しかいなくて、そうなると、ほら、「会社の人と深く関わるとか(笑)ねぇ?」って脳内がまた、アレ、付けるんだよ。
友だちって、みんなどこでつくれたの?
会話がしたいな。
頭の中のことすんなり渡せて相手のもすんなり受け取って、それ以上でもそれ以下でもないやつ。
「空が青いね」
「青いね」
「寒いね」
「寒いよね」
「おなか減ったね」
「減った、何か食べよっか」
「そうだね、何食べよう?」
なんの思惑もなく、駆け引きもなく、あるがままの相手と自分でいられる関係にずっと憧れてる。
お腹痛いとき、痛いよって言える相手。
死にたいとき、死にたいんだって言える相手。
どっちも「空が青いね」くらい自然で、ただそこにある事実を話すから、同じように「痛いんだね」って返してほしい。
言われた方が、(なんとかしなくちゃ!!薬?病院?ストレス?病気?死なないで!死んじゃだめ!なんでそんなこと言うの!!!!!)って慌てない関係。
ただお耳を貸し合える関係。
そんな人、いなくても平気って思えるくらいには大人になったのに、あのドラマを見てまた少し羨ましくなっちゃった。
街中で、歩きながら、ちょっと笑いながら電話してる人、羨ましいよね。
あーあ。
私も松下洸平のお耳貸して欲しいな。
(結局そこかーい)